Windows 95 登場

生生流転の果てにファンドリーが登場するのですが、そこに至るまでにまだいくつかのお話をしなければと思います。
Windows95という名前の通り、1995年にマイクロソフト社からパソコン用の画期的なOSが発売されました。あの頃に世の中の状況がガラッと変わったと個人的には思います。大きくは2つの変化があったと思いますので、それについてお話します。

まず一つ目ですが、それまでビジネスコンピュータが主流だったのがパソコン(パーソナルコンピュータ)に主役が移ったことが挙げられます。CPUの演算能力の高速化とメモリの大容量高速化がパソコン(小型)化の後押しをしたのは否めないと思います。

半導体の高性能化によってハードウェアの高性能化が実現し、価格を極限まで抑えることで個人へパソコンが普及するようになりました。

そして二つ目は、IBMが提唱したDOS/Vの登場です。DOS/V仕様という共通化PCは、いずこのメーカーの機械でも構わないという「横断的性質」を以って、ソフトでコントロールするという考え方に基づいています。これの重要なポイントは、パソコンという全体の機能構成要素を定義し、要素間のインターフェースの約束事、基盤の大きさ、ねじ位置も規格で決めてしまい、要素ブロック毎に異なる企業が設計しても、各ブロックをレゴのように組み立てればDOS/V仕様PCは出来上がるという点です。それぞれのブロックに強みを持つ会社がそれぞれを設計、開発、製造するのです。

また、DOS/Vのおかげで初めて、各会社の市場は国や言語に縛られることがなくなりました。旧来は、各国表示文字が異なり、PC本体(CPU)からディスプレイやプリンターに“文字”を送る際にPC内の文字データを“表示”する画像データに変換するチップを挿入する必要がありました。そのため国ごとに異なるプリント基板、それぞれに対応する追加文字発生チップを入れ込んだ別設計基盤を設計、開発しなければなりませんでした。それが、世界標準ハードウェアを作ってしまえば言語に縛られることなく、全世界、全言語の文字コードデータ、文字フォントをOSソフトインストール時に選択するだけでたちどころに各国仕様のPCができるようになったわけです。

これによってDELLやHPといった英語圏の世界共通ハードウェア・ソフトウェアのパソコンが、「NEC PC-98」や「一太郎」の牙城である日本に上陸してきました。パソコンハードウェアはまったくコモディティ化し、各機能ブロックのボードを様々なメーカーから買ってきてつなぎ合わせてボード上に搭載すれば、特にこれといった個性のないPCハードが出来上がります。このパソコンハードにフレーバーをつけるのが、OS及びPC上で走るアプリケーションとなります。

あの頃はなんとなく電機メーカーよりもソフト企業のほうが幅を利かせて偉くなったような雰囲気がありました。ご存じの通り、マイクロソフト社創業者のビル・ゲイツ氏が一時期は世界一のリッチマンでしたね。